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年をとると

2021/02/12 11:02 | CATEGORY(その他) | COMMENT(0)

若い時から数年に一度位の割合で外耳炎や中耳炎を患い耳鼻科のお世話になっていますが、今回もまさしく中耳炎だろうと通院したところ、なんと耳は綺麗ですよ腫れもないのでリンパ炎だと思いますよとのことでした。
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リンパ線に菌やウイルスが悪さして炎症を起こしているとの見立てで、危うく抗生剤だけで痛み止めも訴えなければ処方されない様子で危ない所でした。
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この病気は、結構痛いです。外耳炎や中耳炎よりも痛いです。当初、インプラントなのに歯が痛いなぁという感じが3日程続き、その後に中耳炎かと思うような感じで耳が痛くなります。
出されたカロナールは、きっかり4時間で効果が薄れますが、流石によく効きます。
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年を取ると思わぬ病気になるもんだと気づきました。来年で還暦を迎えますので致し方ありませんが、免疫機能も抵抗力も衰えるんだと思いました。
職員の皆さんも油断しないで早めに病院に行くよう心掛けてください。確実に衰えてきています。

前の職場4

2021/01/27 15:28 | CATEGORY(その他) | COMMENT(0)

昨日の多摩市HP広報によると前の職場の新型コロナ陽性者が、更に拡大し利用者53名、職員17名の総計70名に増えたようです。
全フロアーに感染エリアが広がっているとしか思えませんが、施設全体をゾーニングするしか手がないように思います。
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東京都社会福祉協議会の規定では、他施設からの応援職員はレッドゾーンへの派遣は出来ませんので法人内からの増援部隊を派遣するしかないと思われます。
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広報以外大した情報もありませんが、現在自分が知りうる限り、多摩地区の特別養護老人ホームとして最悪の大クラスターに見えます。
同じ地域内に系列の病院があるのに何故こうも広がってしまったのか検証してみたいですが、今では誰も知り合いがいませんので残念です。
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今更ですが、絹の道では、職員全員が陽性者・利用者も全員が陽性者と想定し、完璧な手指衛生とサージカルマスク、目のフルタイムシールド防御・一人気ままなランチ・法人敷地内は不織布マスク無しで一切会話するなを徹底して、少しでも体調や具合が悪い時は気兼ねなく休みましょう。
そうすれば、コロナはそんなに怖くないし感染しないと信じて気楽に乗り切ってやりましょう。
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出来ればのお願いですが、桜が咲く頃まで同居以外の家族や親族との会食は、最大限の留意をお願いします。個人的には、今週末に同居していない娘二人が来て食事会をするようですが、マスクをして15分間だけ同席し、その後は酒持って自室に籠りPS4を友に一人呑みに徹します。まぁ何時もの事と言えばそれ迄ですが。

前の職場3

2021/01/27 12:04 | CATEGORY(その他) | COMMENT(0)

就職した当時のお仕事に一膳飯の用意という大役がありました。今と違って昭和の時代は、特養で利用者が亡くなるなど年に2~3回しかなく、大抵はチョット体調を崩すと上の病院に搬送するのが慣習でした。予後せず亡くなった場合に、朝一に地下の霊安室に一膳飯を持っていくお役目が、極たまにありました。
今でも忘れませんが、職員階段を通る時に線香の香りがするので出勤すると直ぐに分かったものです。
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大抵の家族は、大して悲しそうでもなく淡々と話しをし、中には何でこんな場所で逝ってしまったのかと嘆く家族や他の親族の手前、病院で逝って欲しかったと愚痴る家族が結構いました。
まぁ一番辛かったのは、亡くなったのは寂しいですが、この施設に二度と来なくて良いと思うと何より嬉しいと親族に真顔で言われた時は、流石にチョットだけ考えるものがありました。
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若い時だったので深く考える事もなく何時も通りにご愁傷様です。と言って一膳飯をお供えしてきましたが、今思えば、当時勤めていた特養の深い闇は、結構深いものでした。
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認知症を痴呆と呼んでいた時代の特養でしたので仕方ないのかも知れませんが、今回のクラスター蔓延状況を見ると30数年前とあまり変わってないのではないかと少し思ってしまいます。
先般、東京都社会福祉協議会よりこの特養が職員崩壊による危機の為、応援依頼のメールがありましたが、全国展開している、もの凄く大きな法人が何で支援要請しているのかとても疑問です。

前の職場2

2021/01/26 11:41 | CATEGORY(その他) | COMMENT(0)

前の職場は、戦前に創設された結核病院でイメージ的には、猫バスに乗っていたメイ達のお母さんが入院していた人里離れた隔離結核病棟のような感じです。
戦争の傷跡も癒えない昭和30年代に結核患者が激減し経営悪化の一途だった病院は、結核病棟から貧困層の老人病院に転換し、経済的に病院を退院できない高齢者の受け皿施設として措置の特別養護老人ホームを別法人で創設し現在に至っています。
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残念ながら病院の経営立て直しは上手くいかず、平成末に病院と特養2件と保育園が、ワンセットで大きな社会福祉法人に合併され、創設一族の方々は現在法人理事会に一人もいません。
コロナ告知のHPを見ていたら、何と新宿区で新たなユニット型特養を創設するようで建築請負会社の公募が告知されていました。
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たった一つの特養をこじんまりとゆったりと経営し極力仕事しないで効率よく稼ぐことを考えている自分とは大きな違いですが、絹の道は、こんなもので十分と思っていますので職員の皆さんも無理しないで適当に過ごしてください。

前の職場がクラスター

2021/01/26 10:50 | CATEGORY(その他) | COMMENT(0)

怪しいコメントが送られてきて新年になって書いたものを削除してみました。結果、ブログは消えたけど英語の怪しいコメントは残り、結局、別の方法で削除できることを学んだ今です。
爺は基本的にこんなものですが、失敗する前に何故調べようとしないのか我ながら馬鹿さ加減にあきれていますが、まぁこんなものです。
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話は変わりますが、人生で初めて正式に正社員として採用され、初々しい栄養士さんとして10年間仕事に邁進しそれなりの評価をうけていた前の職場が、先週末恐ろしい事になっていました。利用者45人・職員10人、合計55人の新型コロナ陽性反応者を輩出、昨年末より単発で陽性者も出ていたようで完璧なクラスター施設となっていました。マスコミも飽きたのかまったく報道していませんが・・・。
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35年前に木造モルタル仕上げの築年数25年の超ボロボロ老人ホームを解体し新築し移設させるプロジェクトの補佐事務員として任命され、東京都と竹中工務店の担当者と日々打ち合わせをし3年の歳月を掛けて完成し移設させた思い出の特養です。
特に厨房にはやたら予算を回し当時最高の調理機器を導入してやった記憶があります。
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当時の同僚には、他の社会福祉法人理事長や特養の相談員、郵便局長、私塾の経営者など現在も交流がある人もいますが、多くの先輩達は鬼籍に所属するようになってしまいました。
古い施設の時代には厨房の排水溝にドブねずみが徘徊し食器洗浄器室の隣部屋が汚物処理室兼業務用布オムツ洗濯機部屋という今ではまったく考えられない設計がまかり通る時代で昭和なんてそんなものですが、大らかな時代でした。
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