介護のために退職するが…
JRの線路下を走る地下道。そこに段ボールでしつらえた、棺桶サイズの"部屋"で横になる。明日の天気が知りたくて携帯ラジオをつけると、花火大会の情報が流れた。
「その日まで、俺は生きていられるのか」
男性(60)は、6年ほど前のホームレス生活を振り返る。いつも頭に浮かんだのは、血を吐いて倒れ、そのまま息を引き取った仲間や、電車に飛び込んだ年配の女性の姿……。何日も食べられないこともあり、体はみるみる痩せていた。
そんな男性も、かつては都内の大手百貨店で食品部門を仕切っていた。ブランド店との付き合いでオーダーした1着70万円のスーツを着て全国を飛び回り、新商品を見つけ出す。物産展もすべてを指揮し、年収は1200万円を超えていた。
そんなとき、母を介護していた父にがんが見つかった。
「一度ネクタイを外したら、また着けるのは難しいぞ」
上司にはそう引き留められたが、両親に最後の恩返しがしたくて、1千万円の退職金と引き換えに仕事を手放した。45歳のときだった。貯金も2千万円ほどあった。父の葬式と墓の購入に850万円を使ったが、それ以外に大きな買い物をした記憶はない。
知人の会社に再就職したが、年齢とともに条件が悪くなり、何度も職を変えた。50歳を過ぎて就いた仕事は、オートレース場の売店でのアルバイト。しかも給料の遅配や不払いが続き、母が85歳で亡くなるころには貯金も底をつき、母の遺骨を抱えて路上に出るしかなかった。
親の介護や自身の病気、ケガや事故、会社の経営悪化など、歯車の一つが狂っただけで、「下流」に転落していく人がいる。特に地価や物価の高い都心部では、収入を失えば最低限の生活さえままならなくなる。都会で老いるには、コストとリスクを把握し、それに備える必要があるのだ。
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介護という仕事は、高齢者を助ける仕事ですが間接的に家族や親族をも助けている大事な仕事だと思います。上記のようなケースが今後益々増えていくと思いますが我々絹の道が最後の砦となって一人でも多くの人に役立つよう頑張っていきましょう。