その昔、日本全体で米不足の年があった事を知らない人もいるかも知れませんが、当時は緊急にタイからタイ米を輸入し急場を凌ぎました。
当施設では、創設時からの付き合いがあった為、新潟ケンベイ(魚沼のお米専門の共同組合)から滞りなく日本米を仕入れ利用者の食事をはじめ職員にも原価で販売していました。
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新潟ケンベイさんとの取引は、この施設を建築した業者から派遣されていた担当専務さんがご縁で、専務の田舎の旧友が組合の理事長をしているので是非との事が始まりでした。
この専務は、銀行大合併の犠牲者で統合された側の銀行マンでした。またあの大惨事、オウムサリン事件の被害者で、電車の中で意識朦朧となって緊急搬送され何とか一命を取り留めたようです。
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現在はどうだか良く知りませんが、当時は新潟魚沼産と偽ったり、魚沼近隣の畑産でもブランド米として販売していたようですが、組合お墨付きの新米を届けるとの約束で全職員にお裾分けを始めたしだいです。
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「同じ釜の飯を食う」とは、若干違いますが、日本人にとって新米を特別な食品ですので秋の実りを感じて頂ければ嬉しいです。