色々な福祉関係者と話をすると一見福祉っぽい人が実はそうでもなかったり、以外にも他人の理念に否定的な対応をする人などが案外多く見かけられます。
自分の理念と近い人と自然に付き合いも深くなり周りが自分に近い人だけになるのもどうかと思いますが、色々な人達が色々な福祉っぽいことをしていくのもいいのかなと最近感じています。
労働者人口が自然と減っていく日本で昭和のような繁栄を維持するのがもともと無理があり明治のような生活格差も仕方ないのかも知れません。
調理師の専門学校に進学する予定が、たまたま親戚からの助言で栄養士の学校に行って、三島の市立病院と多摩市の特養に採用が決まって近所の小父さんのアドバイスで特養に行って、たまたま改築工事の責任者になって公の補助金のシステムに精通し、認知症のケースで病院や特養に足蹴にされた勢いで会社を辞めて特養の創設に取り組み、他の特養で受けて貰えない人を受け入れる特養という理念だけでやってきました。
もともと福祉の大学を出ている訳でもなく認知症の親が子供の家庭を崩壊させていった現場を見ていただけで何の手助けもできなかった事を悔いて始めた仕事ですが、時が経ち特養を持ち職員の皆様のお蔭で今は何とか対応する力があると信じています。
今年も残り僅かですが、絹の道の存在で助かったご家族が沢山いると信じて新しい年を迎えたいものです。
寒いですのでご自愛して職務に励んで頂けると有難いです。