昭和58年に就職した頃の特別養護老人ホームは、養護老人ホームの補完施設で寝たきりや痴呆症になると特養に移るそんな時代でした。
東京で7番目に出来た特養に就職し東京全体でも70施設位しか特養がなく関東全体でも200施設程度でした。
当時は全ての利用者が措置入所でしたので住民票のある役所のケースワーカーが担当になって家族とのトラブルや金銭管理なども基本的に役所任せでした。
痴呆症になった場合、夜間の奇声や重度の徘徊になると引き受けてくれる特養が皆無で精神科隔離病棟に入院するか重篤な寝たきりになるよう服薬をするか手足の拘束をするかの時代でした。
そんな現状を打破する特養を目指し絹の道を立ち上げましたが、当時は資金もなく無名で非力な我々をさくら銀行の支店長や衆議院秘書の方をはじめ佐藤秀工務店の関係者皆様の尽力で何とか法人が立ち上がり現在に至っています。
時代が流れ奇声や徘徊程度は何処の特養も引き受けてくれるように成りましたが、普通の特養での引き受け困難な高齢者や法人理念に共鳴してくれる高齢者をこれからも積極的に引き受けていけるよう職員の皆様にはお願いしたいです。
介護する側もされる側も共に分かち合える施設を目指していきたいです。