高校最後の年は、色々ありました。何故か現在、金目鯛持ってビッグロトのCMに出ている服部栄養専門学校の校長の面接を受けた際、落ちる前例などほぼない専門学校の受験で落第しました。能々聞いてみると高校の担任が、欠席の多い理由を喘息の発作の為に止む無しと記載したようで良かれと思ってくれたようですが、本当に参りました。
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仕方なく申請書を書き直し東京栄養専門学校というマイナーな学校に行くことになりました。鮮魚経験を活かし在学中に調理師免許を取得し、卒業と同時に無試験で栄養士の資格を取得するというちょっと胡散臭い手法で資格を得て、三島の市立病院と多摩市の老人ホームに無事に就職をすることが出来ました。熟慮の結果、三島は遠いので車通勤可能な多摩市の近場に就職し、晴れて特養の栄養士さんとして社会人デビューに至りました。
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この頃は、病院と特養の業務内容の違い等まったく分かっていませんでしたが、やり続けると結構どうにかなるもので、割と順調に10年間勤務することができました。
保健所の栄養士さんや東京都の栄養士さんが色々と面倒を見てくれたのが大きいですが、世間はバブルで大騒ぎ状態だったのも幸いし誰でも普通に正社員として中流家庭を夢見る事ができた時代でした。