基本的に特に困る事もなく普通に子供時代を過ごしましたが、バイトだけは、結構気合を入れてやっていました。中学に入ると親父が通っていた場末のスナックで知り合った新聞販売店のオジさんに頼み込んで夕刊の配達を始めました。翌日の朝刊の折り込みが8枚以上になると出前でラーメンを差し入れてくれるのが当時一番の楽しみで、指サックをつけて全力で頑張りました。貧乏な大学生や社会人としてやや問題のある人達とラーメンを食べながら楽しく語らうのが好きでした。
.
高校生になると自力でバイトの面接を受けてセブンの品出しや足場パイプの繋ぎ部品の回収要員など金目の高いバイトに就く事が出来て結構羽振りの良い高校生時代を送る事が出来ました。中でも専門学校時代のスーパーいなげ屋東野川店での2年間は、鮮魚・精肉・乳製品を担当し最後の時期は、翌日の商品仕入れまで押し付けられましたが、時給500円が520円になっただけでした。
.
大勢のバイトやパートさんが、忌み嫌う仕事に鮮魚担当という部署がありました。とにかく臭くなるので多感な若者達は、鮮魚担当になった瞬間に辞めてしまう仕事でしたが、個人的には結構好きな仕事でマイ出刃包丁が支給されるまで出世しました。切り身や刺し身の盛り合わせまで自己判断に任せられ、それなりに貢献しているつもりでしたが、時給は相変わらず520円のままでしたので今思えば、そんなに役に立っていなかったようです。
.
このバイトで大学出の正社員の馬鹿っぷりや店長とパートさんのバレバレの不倫関係、万引きを捕まえる業者さんや捕まった人の言い訳や開き直る悪態など本当に多くの社会経験をさせて貰いました。売り場面積拡大に燃えるメーカーの営業さんが、偏差値高めの大学を卒業しているのも驚きましたが、自分みたいなバイト学生にまで媚を売るのが、微笑ましく人生の深みを感じました。
.
昭和は基本、終身雇用だったので誰でも正社員に成れて皆一丸となって仕事をしていた良い時代でした。