就職した当時のお仕事に一膳飯の用意という大役がありました。今と違って昭和の時代は、特養で利用者が亡くなるなど年に2~3回しかなく、大抵はチョット体調を崩すと上の病院に搬送するのが慣習でした。予後せず亡くなった場合に、朝一に地下の霊安室に一膳飯を持っていくお役目が、極たまにありました。
今でも忘れませんが、職員階段を通る時に線香の香りがするので出勤すると直ぐに分かったものです。
.
大抵の家族は、大して悲しそうでもなく淡々と話しをし、中には何でこんな場所で逝ってしまったのかと嘆く家族や他の親族の手前、病院で逝って欲しかったと愚痴る家族が結構いました。
まぁ一番辛かったのは、亡くなったのは寂しいですが、この施設に二度と来なくて良いと思うと何より嬉しいと親族に真顔で言われた時は、流石にチョットだけ考えるものがありました。
.
若い時だったので深く考える事もなく何時も通りにご愁傷様です。と言って一膳飯をお供えしてきましたが、今思えば、当時勤めていた特養の深い闇は、結構深いものでした。
.
認知症を痴呆と呼んでいた時代の特養でしたので仕方ないのかも知れませんが、今回のクラスター蔓延状況を見ると30数年前とあまり変わってないのではないかと少し思ってしまいます。
先般、東京都社会福祉協議会よりこの特養が職員崩壊による危機の為、応援依頼のメールがありましたが、全国展開している、もの凄く大きな法人が何で支援要請しているのかとても疑問です。